唐戸の歴史 [ふぐ、明太子、鯨、海産物のことなら 下関唐戸市場 林商店]

林商店 唐戸の歴史


 
林商店提供Podcast番組 しものせき唐戸市場
 



関門倶楽部

壇ノ浦の合戦

文治元年(1185)3月、源氏方は八百四十隻、平氏方は五百隻余りを壇ノ浦に集結させました。平氏方は潮が東に流れるのを待って源氏方の船に近づき、源氏を圧倒していました。源氏方に焦りが見えはじめましたが、義経は船頭を弓矢で射殺すという作戦にでました。すると、平氏の船は動きを失って形勢逆転。源氏方はここぞとばかり平氏の船に乗り込み、つぎつぎと斬りかかっていきました。そして、平氏方は劣勢になり、平氏方不利と見た諸将が源氏方に寝返り始めました。

この壇之浦の合戦(治承・寿永の乱の最後の戦い)で、平家は源氏に敗れ、祖母・二位尼に抱かれた8歳の安徳天皇はこの海に入水し平氏は滅亡しました。 その悲劇の幼帝は、海峡を見下ろす小高い場所にある赤間神宮に祀られています。

この戦いにより、平家(伊勢平氏の平清盛一族)は25年にわたる栄耀栄華の幕を閉じることとなります。平宗盛は鎌倉へ護送されて源頼朝と対面し、京へ戻る途中に斬首されます。勝利を収めた清和源氏の頭領・源頼朝は、西国支配を確立し、後に鎌倉幕府を開くこととなります。


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旧下関英国領事館

明治39年(西暦1906年)建設された、唐戸交差点に立つ赤レンガ造りの建物。設計者は、長崎の英国領事館の建築を担当したウイリアム・コーワンと言われ、国の重要文化財に指定されています。

 幕末の元治元年(西暦1864年)、英、仏、蘭、米国の4ヶ国連合艦隊が下関を砲撃した「下関戦争」の際、英国指揮艦ユーリアラス号に通訳として乗り込んでいたアーネスト・サトウは、後に英国駐日公使となり、下関に領事館が必要なことを提言しました。明治34年(西暦1901年)に全国三番目の英国領事館が開設されました。



JR下関駅からバス7分「唐戸」下車すぐ
下関市唐戸町 4-11 電話:083-231-1238

開館: 9:00〜17:00  ライトアップ: 日没〜22:00
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旧秋田商会ビル(下関観光情報センター)

 旧秋田商会ビルは、大正4年に建てられた海運会社・秋田商会の事務所兼住居だったもので、屋上には日本庭園や茶室があります。また、ユニークな屋上の塔は、海岸が間近であるので、灯台の役目を果たしていました。秋田商会は、日清戦争以後の海外進出機運にのって創設された海運会社で、海外貿易を主な業務にしていました。現在は下関観光情報センターとして、建物内部の公開をしています。


JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩すぐ
下関市南部町 23-11
下関観光情報センター 083-231-4141

開館: 9:30〜17:00 ライトアップ: 日没〜22:00


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武蔵と小次郎 巌流島

 巌流島(がんりゅうじま)は山口県下関市にある無人島。関門海峡に浮かぶ小島で、正式な島の名前は船島(ふなしま)。この島で、慶長17(1612)年4月13日に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し、敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって巌流島と呼ばれるようになりました。
 2003年には公園として整備され、5月の連休時のしものせき海峡まつりでは、巌流島フェスティバルのイベントとして、コンサートや宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現などが行われています。


■ 島の周囲 約1.6km
■ 島の面積 約10.3万m2

・ 現在の面積は決闘当時に比べて3〜6倍程度大きくなっていると言われています。
・ 現在は無人島ですが、人が住んでいたこともあります。


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